死刑囚の元暴力団員が自殺。群馬前橋スナック銃乱射事件とは?

 

26日朝、こんなニュースが配信されました。

 

群馬・前橋市のスナックで4人が射殺された事件などで、死刑が確定していた元暴力団会長の男が、東京拘置所で死んでいるのが見つかった。

自殺とみられている。

死亡したのは、指定暴力団住吉会系元会長・矢野治死刑囚(71)で、2003年、前橋市のスナックで起きた拳銃乱射事件で、4人を殺害するなどした罪で刑が確定していた。

引用元:FNN primeオンライン

 

死刑囚だった元暴力団員が自殺で死亡したとのことです。

今回は前橋市のスナックで起こった銃乱射事件について詳しく調べてみました。

 

 

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前橋スナック銃乱射事件

 

実行犯は小日向将人・山田健一郎

殺害を指示したのは矢野治

 

2003年1月25日

群馬県前橋市三俣町の住宅街にあるスナック「加津」のカウンターに指定暴力団系矢野睦会の矢野治会長の指示を受けた暴力団幹部の山田健一郎死刑囚と小日向将人死刑囚がヘルメットをかぶって侵入しました。

午後11時25分頃

スナック前にいた後藤元組長の警護役を射殺。店内で銃を乱射して客としてきていた一般人3人を射殺。元組長と客の2人は重傷を負いました。

本事件のきっかけとなったのは、2001年8月に東京都内の斎場で指定暴力団住吉会系組幹部2人が稲川会大前田一家系組員2人に射殺された事件とされています。その後、両組織は和解していましたが、住吉会幸平一家の矢野睦会組員らはこの和解を拒否します。その後も、大前田一家の幹部と敵対。

2002年2月21日には前橋市の大前田一家元総長宅に向けて発砲し、2002年3月1日には大前田一家元総長宅の敷地内に火炎瓶を投げ込むなどしました。2002年10月14日に白沢村で銃撃事件が発生も。

また、2月11日の発砲事件に関わった矢野睦会幹部が、2月15日に東京都文京区の日医大病院に入院していたところを射殺されています。これは、元総長宅襲撃失敗の口封じが目的とみられていて、この事件では2003年9月に矢野ら3人が逮捕されています。

小日向将人死刑囚は事件後にフィリピンなどに逃亡していましたが、2002年10月に不法滞在で強制送還されました。小日向将人死刑囚は2004年2月に矢野の指示でやったと容疑を認め、2004年2月17日に逮捕されました。同日、放火容疑で逮捕されていた矢野も、首謀者として逮捕されます。2004年5月7日に、もう一人の実行犯役として山田健一郎死刑囚が逮捕されました。

 

のちに銃乱射事件に巻き込まれ死亡した一般市民の男性の遺族が、住吉会・西口茂男総裁らに、使用者責任があるとして、およそ2億円の損害賠償を求めた訴訟がありました。

住吉会側は使用者責任を認めて「深く遺憾の意を表する」と謝罪したうえで、再発防止を約束、遺族に9750万円を支払うことで和解が成立しました。

 

 

 

きっかけとなった事件とは

 

この前橋スナック銃乱射事件の発端は、2001年8月15日に東京都葛飾区の四ツ木斎場で、後に解散した指定暴力団・稲川会系大前田一家の組員が、住吉会系幹部の通夜に紛れ込み、住吉会住吉一家向後四代目熊川邦男会長を殺害、同組組員を負傷させ、その流れ弾で住吉一家滝野川一家七代目遠藤甲司総長を殺害した事件の報復であるとされています。

殺害した実行犯の2人はその場で住吉会組員に取り押さえられましたが、警察の説得で引き渡されていた。

この事件での両組織の対応ですが、稲川会は住吉会に対し、

「実行犯を出した大前田一家に対し、“家名抹消”などを通達」「そのほか関連していたとされる組長も処分」

するとし、両組織は手打ちとなっていました。

しかし、大前田一家はその処分に納得せずに、暴力団活動を続けていたことから、幸平一家が大前田一家の組長らに対して報復を実行したとされています。

 

 

 

最も過激な組織

 

その幸平一家でも当時“最も過激な組織”とされていたのが、東京都池袋に本拠を置く、矢野治被告が率いた矢野睦会であったと言います。

前橋スナック乱射殺人事件後も、住吉会は矢野治被告を組織の最高幹部の地位を外すことはなかったのですが、矢野治被告が週刊誌への告白後、組織名であった矢野睦会を改称し、組織として矢野治組長の除籍という処分を行い、全国の組織に除籍状を送りました。

exciteニュース調べ

 

 

矢野元死刑囚の殺人の告白

 

2014年12月に死刑囚・矢野治(67)から「週刊新潮」編集部宛てに一通の手紙が届きました。

 

前略、お手数をお掛致します。(中略)多分、平成6年頃のことと想います(※編集部註・平成10年の記憶違い)。警察が調べれば直ぐにわかります。法の改正で時効にはなっておりません。この処、毎晩のようにリュー一世(斉藤衛)の夢で苦しんでおります。このようなことを書き記すことは、私の立場が悪くなることを承知で書かねばならぬ心情を察してください。

私とリューは板橋区に在るハタボールの2階の喫茶店で会った後にリューに〇〇組(手紙では組名明記)で仕事を手伝う人間が待っていると嘘を吐いて連れて行きました。(中略)事前に〇〇組長に頼んで檻を事務所内に入れてもらっていたので、リューは〇〇組に入るなり直ぐに檻に入れてます。(中略)私個人の考えでリューの首を絞め殺しました。3日間檻に入れていたので、リューは糖尿病なので死んでも可笑しくない位に弱った状態でした。その後に結城実(仮名・手紙では実名)に連絡をし、死体を始末させました。(中略)木村洋治(仮名・手紙では実名)も死体遺棄に手を貸している筈です。

ありのままを書き記しました。一日も早くリュー一世を穴から出してやって頂きたくお願いを申し上げます。要町事務所での事件ですから目白警察に届けるようにしてください。

平成26年9月7日記 矢野治

 

引用元:デイリー新潮

 

 

 

矢野元死刑囚の生い立ち

 

出典:新潮社

 

本名:矢野治

生年月日:1948年/

年齢:68歳

仕事:元暴力団

(矢野睦会会長)

活動はどうやら基本的にアメリカからの禁止薬物の密輸や武器の輸入を基本にしては稼いで、さらには拉致など、完全に罪になる人身売買までを行っていたそうです。

 

 

 

 

 

まとめ

 

以上が、自殺した元暴力団員の矢野死刑囚の起こした前橋スナック銃乱射事件のおさらいでした。

 

 

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